真面目に勉学に励んでいる学生が歩いていると、鍵がかかっておらず扉が少し開いている家がありました。その学生はつい出来心でその家に盗みに入り、警察に捕まってしまいました。裁判にかけられ「つい出来心で」という言い訳は通用せず、有罪になり大学は退学処分になり職にもなかなか就けないため、今度は本気で盗みに入るようになりました。
その後彼は盗みを止められなくなり、刑務所を出たり入ったりの生活を繰り返すことになりました。彼が盗みをするたび被害者が生まれ、もし最初の家の鍵が閉まっていれば、もしくはせめて扉が閉まっていればこの学生の人生は全く違っていたかもしれません。
いったい誰が悪いのだろうか?
おしまい
あなたはこの物語、誰が悪いと思いますか?
多くの方が「学生」と答えるでしょう。私もそう思いました。
ただ、もう少し考えてみましょうというのがこの物語の教えになります。
家の住人が一人の盗人を作り上げ、モノを盗まれた被害者が生まれ、警察や裁判所、刑務所の厄介になるという社会的なコストを生み出したという考え方もできます。
犯罪者だけを責めるのではなく、その犯罪者を生み出した要因は何だったのか、その要因によって犯罪を犯すように導かれていたのではないかなど、思考を巡らせましょう。
それが同じような犯罪者を生まないために必要で、自分が犯罪を犯さないことはもちろん犯罪に巻き込まれないためにも大切だと思います。
だからといって犯罪者を許すということは違うと思いますので、そこは注意しておくべき点だと思います。
以上になります。
ありがとうございました。
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