神に対してある男が交渉を持ちかけました。
神この町は悪人で満ちている。一度、この町を焼き払わなければならない
男お待ちください。この町に50人の善人がいたとしても、神はこの町を焼き払うおつもりでしょうか?
神いいや、もし50人もいたらこの町を焼き払うことはしない
男神からみたら私はクズのような人間ですが、失礼を承知でもう一つだけ質問させてください。もし善人が50人から10人少ない40人いたとしても、この町を焼き払われるおつもりですか?
神いや、善人が40人もいたら焼き払わない
男失礼を承知でもう一つ質問させてください。いま善人が40人とおっしゃいましたが、それよりも10人少ない30人いたとしても町を焼き払うことが神の正義というものでしょうか?
神善人が30人もいれば、焼き払わずこの町を救ってもよいぞ
こうして男は神と交渉を続け、最終的に善人が10人いれば焼き払わない約束を交わしました。
しかし、この町に善人は10人もおらず、神は激怒して町を焼き払いました。
おしまい
相手が誰であろうと挑む姿勢
この男は神という絶対的に自分よりも上の立場の相手に対して、自分をへり下らせながら交渉を持ちかけました。
あなたは神に交渉を持ちかけられますか?
私は昔から自分よりも年上や立場が上の人に対して突っかかることが多かったので、いくら相手が神とはいえ自分が納得できないことや理解できないことを言われたら交渉を持ちかけると思います。
上司や時には社長に「ちょっと小耳に挟んだのですが、来月から〇〇にするって本当ですか?それはちょっと良くないと思うのですが、実際どうなんですか?」と聞くことがあります。前提として、その情報や噂話を聞いて自分の中でしっかりとメリット・デメリットを考えたり、それをすることによって今後どうような問題が起きるかを予測したうえで聞き、意見を問われたらちゃんと答えられる準備はしています。
おそらく私は面倒くさい部下だと思われています。でも、顧客や従業員全体にとって不都合が生じることを容易に想像できるなら、私に黙っている選択肢はありません。
「少しずつ」、「積み重ねる」
そして、もう一つ大事なことは少しの成果や成功を積み重ねることです。大きな成果や成功を当てに行くにはそれ相応のリスクが伴います。
この物語の男は、善人の数を50人から40人、30人、最終的に10人にまで減らしました。最初50人から一気に10人にまで下げたらおそらくこの要望は通らなかったでしょう。
一か八かの大勝負に出たい気持ちもわかりますが、それは言わばハイリスク・ハイリターン。当たれば大きいが、外れたら致命的なダメージを負うこともあります。そのような選択をしては安定的な利益の享受はあり得ません。あくまで大切なことは「少しずつ」そして「積み重ねる」ことです。
おわりに
私は先日、ガス会社にプロパンガス料金の値下げ交渉を挑みました。希望の値段まで下がりませんでしたが、使用料金の単価を1割ほど値下げに成功しました。やってみるものです。
あなたは家庭や職場、学校などで自分にとって不利益になるようなことに対して何か行動を起こしましたか?「どうせ言っても変わらないし」と思っているだけでは変わるものも変わりません。当然、やり方や使う言葉は考える必要がありますが、この物語の男のように自分をへりくだらせてでも交渉する価値はあると思います。それでダメなら攻め方を変えるか他を考えるか。挑みもしないで諦めたり流れに任せたりすることは本当にあなたのためになるでしょうか?
あなたならどうしますか?
家族や友達などとの会話のネタにしていただけたら幸いです。
以上になります。ありがとうございました。
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