とある民族は差別を受け、何かと難癖をつけられては無罪の罪で処罰されたり、ひどい時には処刑されることも多くあった。
その民族の男がいま、無罪の罪で捕まり裁判官にこう言われました。
裁判官お前たちの民族の神はずいぶん偉いそうじゃないか。ここに2つの封筒があり、1つには無罪、もう1つには処刑と書かれた紙がそれぞれ入っている。どちらか選び、その書かれた内容に従うことを約束しよう。お前たちの信じる神が奇跡を起こしてくれるところを見せてくれ。
男は両方の封筒に処刑と書かれた紙が入っていると思い、生き残るためにはどうすればいいか考えた結果、とある奇策に出ました。
男は1つ封筒を取るやぐしゃぐしゃに丸め、口に入れ飲み込んでしまいました。そして、裁判官にこう言いました。
男私が飲み込んだ封筒とは逆の内容がこの残された封筒の中に書かれています。つまり、この残された封筒の中身が処刑ならば私は無罪です。裁判官、この残された封筒の中身を声に出してお読みください。
封筒の中には処刑と書かれた紙が入っており、男は無罪となりこの危機を脱しました。
おしまい
絶体絶命の危機、あなたならどうする?
この物語は前提として、この男の民族は差別を受けていて、これまでに無罪の罪でも刑を下されており、相手は何としても処刑したがっているという見え見えの魂胆があるということです。だから男は両方の封筒の中身が処刑だと思ったのでしょう。
あなたならこの場面、どう乗り切りますか?
私なら、両方が処刑と思いながらも僅かな希望からどちらかを選ぶと思います。そして処刑されてしまうでしょう。それしか思いつきません。
あなたならどう考えますか?
諦めない気持ちとは?
おそらく私はこの物語のような場面に出くわしたら、考えるのを諦め、自分の命を諦め、よくわからない神や運に委ねるでしょう。しかし、この物語の男はこの絶体絶命な危機をどう乗り切るか考え、自分の命を諦めず、神や運などには頼らずに自分で決断し、結果この危機を乗り切りました。
私とこの男の違いは、生き残る方法を考えたか考えなかったかだと思います。
つまり、考えない・思考停止 = 諦めということが言えるでしょう。
逆を言うと、どうすればこの状況を好転できるか、このピンチを乗り切れるかなど考える = 諦めていないということです。
私自身、会社や上司に改善の提案をしても無駄だからもう提案しないっていうのも思考停止であり、諦めです。
あなたは家庭内や職場、学校などで諦めていることはありますか?
逆に諦めていないことはありますか?
諦めていることでも考え方を変えれば打破できるかもしれません。少し考えてみましょう。
おわりに
この物語では、不利な状況でも諦めず、考えることの大事さを教えてくれています。
神頼みや運命に委ねると言えば聞こえはいいですが、それは失敗したときに責任転嫁するためではないですか?
自分で考え、自分なりの根拠を見出だし、そして自分で決断する。それで失敗してもそれは経験値になり、今後に活かせます。時には人からアドバイスを聞くことも大切だと思いますが、そのアドバイス通りにするのか、それとも自分の意見を貫くのか、それともアドバイスを取り入れつつ新たな選択肢を生むのか。あくまで自分が決断を下す立場であり、その責任は自分にあることは頭に入れておくべきでしょう。
あなたならどう考えますか?
家族や友達などとの会話のネタにしてもらえれば幸いです。
以上になります。ありがとうございました。
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