【道に迷ったお姫様】

タルムード

ある国のお姫様が森の中で道に迷い、何日間も森から出られなくなってしまいました。

森の奥で一人の老人に出会い、お姫様は尋ねました。

お姫様:「私は道に迷ってしまいました。どの道を行けば森から出られるか教えてください」

すると老人はこう答えました。

老人:「わしはこの森でもう40年も道に迷っている。わしが教えられるのは、どの道を進めば森から出られないかということだけだよ」

おしまい

お姫様は森から脱出できたのでしょうか?

この物語はこれでおしまいなのでその後お姫様がどうなったのかはわかりませんが、あなたはこのお姫様は森から脱出できたと思いますか?なぜそう思ったのかまで考えてみてください。

その後の続きがわからないため正解はわかりませんが、私はお姫様は脱出できたと思います。この老人はどの道を進めば森から出られないかを知っている=どの道を進めば森から出られるかを知っているとも言えると思います。仮に知らなくても、正解ルートへの選択肢はかなり限られているでしょう。では、なぜ正解ルートは知りながらもこの老人はこの森にいるのか。それは、この老人はもうこの森での生活に慣れて居心地の良さを感じ、むしろ森の外での生活を望んでいないのだと思いました。老人が迷っている道というのは森から脱出する道ではなく、自分はこのまま森で一生を過ごすのかどうかという今後の人生への道を指していると思います。

これはあくまで私の妄想です。あなたならどう考えますか?

なぜ失敗したのかを考えよう

この物語の教えは、苦難や失敗の経験を大切にして、なぜ失敗したのかに関心を寄せることだそうです。ハウツー本や自己啓発本などの成功話より、なぜ失敗したのかどこがいけなかったのかなどの失敗話の方が成功へのヒントが隠されているとユダヤでは考えられているそうです。きっとこの物語も、老人は直接正解は教えずに「この道はダメ、この道もダメ、ということは…」とお姫様に考えさせて、結果正解のルートへ導いたでしょう。

正解や成功を教えることは一見すると優しさのように見えますが、その人のことを本当に思うのであればその人に考えさせて、時には失敗も経験させながら正解や成功へ導くことだと思います。

魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教える

私が人生の指針となる人から教えられた言葉です。まさに正解や成功ではなくやり方を教え、その後は自分で試行錯誤しながら正解や成功へ辿り着けという愛情だと私は受け取りました。

おわりに

「最良の教師は、最も失敗談を語れる教師のことである」という格言がユダヤ人にはあるそうです。成功談を披露すればカッコいいし尊敬されるでしょう。失敗談を披露するとダサく映るでしょう。でも、そんな失敗談から他の誰でもない自分が成功するヒントが埋まっているかもと思うと、他人の失敗談の聞き方も変わるのでないでしょうか?

あなたならどう考えますか?

以上になります。ありがとうございました。

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